2013年7月14日日曜日

北越雪譜 初編 巻之上 1.1.14.雪中の洪水 (せっちゅうのこうずい)

1.1.14.雪中の洪水 (せっちゅうのこうずい)


大小の川に近き村里、初雪の後、洪水の災いに苦しむ事あり、洪水を此の国の俚言 (りげん) に「水揚 (みずあがり) 」という。

() 一年 (ひととせ) (せき) という隣駅 (りんえき) の親族油屋が家に、止宿 (ししゅく) せし時、頃は十月のはじめにて、雪八九尺つもりたるおりなりしが、夜半にいたりて、近隣の諸人 (しょにん) 叫び呼ばわりつつ、立ち騒ぐ声に (ねぶり) を驚かし、こは何事やらんと、匈月 (むね) もおどりて、臥したる一間をはせいでければ、家の主、両手に物を提げ、水あがり也、とくとく裏の掘揚 (ほりあげ) へ立ち退 () き給え。といいすてて、持ちたる物を二階へ運びびゆく。勝手の方へ立ちいで見れば、家内の男女、狂気のごとく駈けまわりて、家財を水に流さじと、手当たりしだいに取り退 () くる。水は低きに随って、 (うしお) のごとくおしきたり、 (すで) (たたみ) を浸し庭に (みなぎ) る。次第に積もりたる雪、所として雪ならざるはなく、雪光暗夜 (せっこうあんや) を照して、水の流るるありさまおそろしさ、いわんかたなし。

() は人に助けられて、高所 (たかきところ) に逃げ登り、遥かに駅中 (えきちゅう) (のぞめ) ば、提灯炬 (ちょうちんたいまつ) (とも) しつれ、大勢の男ども、手に手に木鋤 (こすき) をかたげ、雪を越え水を (わたり) て、声をあげてここに来たる。これは水揚 (みずあがり) せざる所の者ども、ここに馳せあつまりて、川筋を開き水を落とさんとする也。闇夜 (あんや) にて、すがたは見えねど、女童 (おんなわらべ) の泣き叫ぶ声、或いは遠く或は近く、聞くもあわれのありさま也。燃え残りたる (たいまつ) 一ツをたよりに、人も馬も首たけ水に浸り、 (みなぎ) るながれをわたりゆくは、馬を助けんとする也。帯もせざる女、片手に小児 (しょうに) を背負い、提灯 (ちょうちん) を提げて高き処へ逃げのぼるは近ければ、そこらあらはに見ゆ。命とつりがえなれば、なにをも恥ずかしとはおもうべからず。可笑 (おかしき) 事、可憐 (あわれ) なる事、可怖 (おそろし) き事、種々さまざま筆に尽くしがたし。ようよう東雲 (しののめ) の頃に至りて、水も落ちたりとて、諸人安堵のおもいをなしぬ。

北越雪譜初編上雪中洪水之図
雪中洪水之図 (せつちゆうこうずゐのづ)

○そもそも我が (さと) 、雪中の洪水、大かたは初冬と仲春とにあり。此の (せき) という (しゅく) は、左右人家の前に、一道 (ひとすじ) づつの流れあり、末は魚野川 (うおのかわ) へ落る。三伏 (さんぷく) (ひでり) にも乾く事なき清流水也。ゆえに家毎 (いえごと) に此の流れを以て井水 (いすい) の代わりとし、しかも桶にても汲むべき流れなれば、平日の便利、井戸よりもはるかに勝れり。しかるに初雪 (しょせつ) (のち) 、十月のころまでに、この二条 (ふたすじ) 小流 (こながれ) 、雪の (ため) に降り埋められ、流水は雪の下にあり。故に家毎 (いえごと) に汲むべき程に、雪を穿 (うが) ちて水用 (すいよう) を弁ず。この穿ちたる所も、一夜の雪に (うずめ) らるることあれば、再びうがつ事 (しばしば) なり。人家にちかき流れさえかくのごとくなれば、この二 (すじ) の流れの水源 (みなかみ) も、雪に (うずも) れ、水用 (すいよう) を失うのみならず、水あがりの (おそれ) あるゆえ、所の人力を併せて、流れのかかり口の雪を穿つ事なり。されども、人毎 (ひとごと) 業用 (ぎょうよう) にささえて、時を失うか、又は一夜の大雪にかの水源を塞ぐ時は、水溢 (あぶれ) て低き所を尋ねて流る。駅中 (えきちゅう) は人の往来 (ゆきき) の為に、雪を蹈みえして低きゆえ、流水漲り来たり。猶も (あぶれ) て人家に入り水難に逢う事、前にいえるがごとし。幾百人の力を尽くして、水道をひらかざれば、家財を流し、或いは溺死におよぶもあり。

○又、仲春の頃の洪水は、大かたは春の彼岸前後也。雪いまだ消えず山々はさら也。田圃 (たはた) 渺々 (びょうびょう) たる曠平 (こうへい) 雪面 (せつめん) なれば、枝川 (えだかわ) は雪に (うづも) れ、水は雪の下を流れ、大河といえども冬の初めより、岸の水、まず氷りて、氷の上に雪をつもらせ、つもる雪もおなじく氷りて岩のごとく、岸の氷りたる端、次第に雪ふりつもり、のちには両岸の雪、相合 (あひがつ) して陸地とおなじ雪の地となる。さて春を迎えて、寒気次第に和らぎ、その年の暖気につれて雪も降り止みたる二月の頃、水気 (すいき) 地気 (ちき) よりも寒暖を知る事はやきものゆえ、かの水面に積もりたる雪、下より解けて、凍りたる雪の力も水にちかきは弱くなり、流れは雪に塞がれて狭くなりたるゆえ、水勢 (すいせい) ますます烈しく陽気を得て、雪の軟らかなる下を (くぐ) り、 (つつみ) のきるるがごとく、譬にいう寝耳に水の災難にあう事雪中の洪水寒国の艱難、暖地の人憐れみ給えかし。右は其の一をいうのみ。雪中の洪水地勢によりて、種々各々 (しゅじゅさまざま) なり、詳らかには弁じがたし。



註:
・睡(ねぶり): 本文では、睡(ねふり) 濁点なし。

・掘揚(ほりあげ) : 除雪の際に出た雪を広場に積み上げること。
1.1.09.雪を掃う」を参照。

・木鋤(こすき): 雪を掘る道具。ブナ材でできた先の平たいスコップ。
1.1.09.雪を掃う」を参照。

・東雲(しののめ):夜明けのこと。

・初冬: 陰暦十月のこと。

・仲春: 陰暦二月のこと。

・三伏(さんぷく): 本文では、三伏(さんふく) 半濁点なし。
夏の極暑の期間。夏至(げし)後の第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後の第一の庚の日を末伏という。(広辞苑参照)

・岩のごとく: 本文では、「岩のことく」濁点なし。



参照リンク:
私の北越雪譜 雪の中の洪水



単純翻刻

○雪中の洪水(こうずゐ)

大小の川に近(ちか)き村里(むらさと)初雪の後(のち)洪水(こうずゐ)の災(わざはひ)に苦(くるし)む事あり洪水(こうずゐ)を此国の俚言(りげん)に「水揚(みづあがり)」といふ余(よ)一年(ひとゝせ)関(せき)といふ隣駅(りんえき)の親族(しんぞく)油屋が家に止宿(ししゆく)せし時頃は十月のはじめにて雪八九尺つもりたるをりなりしが夜半(やはん)にいたりて近隣(きんりん)の諸人叫(しよにんさけ)び呼(よば)はりつゝ立騒(さわ)ぐ声(こゑ)に睡(ねふり)[ママ]を驚(おどろか)しこは何事(なにごと)やらんと匈月(むね)もをどりて臥(ふし)たる一間(ひとま)をはせいでければ家(いへ)の主(あるじ)両手(りやうて)に物(もの)を提(さげ)水あがり也とく/\裏(うら)の掘揚(ほりあげ)へ立退(たちのき)給へといひすてゝ持たる物を二階へ運(はこ)びゆく勝手(かつて)の方へ立いで見れば家内(かない)の男女狂気(きやうき)のごとく駈(かけ)まはりて家財(かざい)を水に流(なが)さじと手当(てあたり)しだいに取退(とりのく)る水は低(ひくき)に随て潮(うしほ)のごとくおしきたり已(すで)に席(たゝみ)を浸(ひた)し庭(には)に漲(みなぎ)る次第に積(つもり)たる雪所(ところ)として雪ならざるはなく雪光暗夜(せつくわうあんや)を照(てら)して水の流(ながる)るありさまおそろしさいはんかたなし余(よ)は人に助(たす)けられて高所(たかきところ)に逃登(にげのぼ)り遥(はるか)に駅中(えきちゆう)を眺(のぞめ)ば提灯炬(ちやうちんたいまつ)を燈(とも)しつれ大勢の男ども手(てに)々に木鋤(こすき)をかたげ雪を越(こえ)水を渉(わたり)て声(こゑ)をあげてこゝに来(きた)るこれは水揚(みづあがり)せざる所(ところ)の者(もの)どもこゝに馳(はせ)あつまりて川筋(すぢ)を開(ひら)き水を落(おと)さんとする也闇夜(あんや)にてすがたは見えねど女童(をんなわらべ)の泣叫(なきさけ)ぶ声(こゑ)或(あるひ)は遠(とほ)く或は近(ちか)く聞(きく)もあはれのありさま也燃残(もえのこ)りたる炬(たひまつ)一ツをたよりに人も馬も首(くび)たけ水に浸(ひた)り漲(みなぎ)るながれをわたりゆくは馬を助(たすけ)んとする也帯(おび)もせざる女片手(かたて)に小児(せうに)を背負(せおひ)提灯(ちやうちん)を提(さげ)て高処(たかきところ)へ逃(にげ)のぼるは近(ちか)ければそこらあらはに見ゆ命(いのち)とつりがへなればなにをも恥(はづか)しとはおもふべからず可笑(をかしき)事可憐(あはれ)なる事可怖(おそろし)き事種々(しゆ/゛\)さま/゛\筆(ふで)に尽(つく)しがたしやう/\東雲(しのゝめ)の頃(ころ)に至(いた)りて水も落(おち)たりとて諸人安堵(しよにんあんど)のおもひをなしぬ○そも/\我郷(わがさと)雪中の洪水(こうずゐ)大かたは初冬と仲春とにあり此(この)関(せき)といふ駅(しゆく)は左右人家(じんか)の前(まへ)に一道(ひとすぢ)づゝの流(ながれ)あり末(すゑ)は魚野川(うをのかは)へ落る三伏(さんふく)[ママ]の旱(ひでり)にも乾(かわ)く事なき清流水(せいりうすゐ)也ゆゑに家毎(いへごと)に此流(このながれ)を以(もつ)て井水(ゐすゐ)の代(かは)りとししかも桶(をけ)にても汲(くむ)べき流(ながれ)なれば平日の便利(べんり)井戸よりもはるかに勝(まされ)りしかるに初雪(しよせつ)の後(のち)十月のころまでにこの二条(ふたすぢ)の小流(こながれ)雪の為(ため)に降埋(ふりうめ)られ流水は雪の下にあり故(ゆゑ)に家毎(いへごと)に汲(くむ)べき程(ほど)に雪を穿(うがち)て水用(すゐよう)を弁(べん)ずこの穿(うがち)たる所も一夜の雪に埋(うづめ)らるゝことあれば再(ふたゝび)うがつ事屡(しば/\)なり人家(じんか)にちかき流(ながれ)さへかくのごとくなればこの二条(すぢ)の流(ながれ)の水源(みなかみ)も雪に埋(うづも)れ水用(すゐよう)を失(うしの)ふのみならず水あがりの懼(おそれ)あるゆゑ所(ところ)の人力(ちから)を併(あはせ)て流のかゝり口の雪を穿(うがつ)事なりされども人毎(ひとごと)に業用(げふよう)にさゝへて時を失(うしな)ふか又は一夜の大雪にかの水源(すゐげん)を塞(ふさ)ぐ時は水溢(あぶれ)て低(ひくき)所を尋(たづね)て流(なが)る駅中(えきちゆう)は人の往来(ゆきゝ)の為(ため)に雪を蹈(ふみ)へして低(ひくき)ゆゑ流水漲(りうすゐみなぎ)り来(きた)り猶(なほ)も溢(あぶれ)て人家に入り水難(すゐなん)に逢(あ)ふ事前(まへ)にいへるがごとし幾(いく)百人の力を尽(つく)して水道(すゐだう)をひらかざれば家財(かざい)を流(なが)し或(あるひ)は溺死(できし)におよぶもあり○又(また)仲春の頃(ころ)の洪水(こうずゐ)は大かたは春の彼岸前後(ひがんぜんご)也雪いまだ消(きえ)ず山々はさら也田圃(たはた)も渺々(べう/\)たる曠平(くわうへい)の雪面(せつめん)なれば枝川(えだかは)は雪に埋(うづも)れ水は雪の下を流れ大河といへども冬の初より岸(きし)の水まづ氷(こほ)りて氷の上に雪をつもらせつもる雪もおなじく氷りて岩のことく[ママ]岸(きし)の氷りたる端(はし)次第(しだい)に雪ふりつもりのちには両岸(りやうがん)の雪相合(あひがつ)して陸地(りくち)とおなじ雪の地となるさて春を迎(むか)へて寒気次第に和(やは)らぎその年の暖気(だんき)につれて雪も降止(ふりやみ)たる二月の頃(ころ)水気(すゐき)は地気(ちき)よりも寒暖(かんだん)を知(し)る事はやきものゆゑかの水面(すゐめん)に積(つも)りたる雪下(した)より解(とけ)て凍(こほ)りたる雪の力も水にちかきは弱(よわ)くなり流(ながれ)は雪に塞(ふさが)れて狭(せま)くなりたるゆゑ水勢(すゐせい)ます/\烈(はげ)しく陽気(やうき)を得(え)て雪の軟(やはらか)なる下を潜(くゞ)り堤(つゝみ)のきるゝがごとく譬(たとへ)にいふ寝耳(ねみゝ)に水の災難(さいなん)にあふ事雪中の洪水(こうずゐ)寒国の艱難(かんなん)暖地(だんち)の人憐(あはれみ)給へかし右は其一をいふのみ雪中の洪水地勢によりて種々各々(しゆ/゛\さま/゛\)なり詳(つまびらか)には弁(べん)じがたし

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