2013年7月14日日曜日

北越雪譜 初編 巻之上 1.1.15a.熊捕 (くまとり)

1.1.15a.熊捕 (くまとり)

越後の西北は、大洋 (おおうみ) に対して高山 (こうざん) なし。東西は、連山巍々 (れんざんぎぎ) として越中上信奥羽の五か国に跨り、重岳高嶺肩 (ちょうがくこうれいかた) を並べて、 () 十里をなすゆえ、大小の (けもの) 甚だ多し、此の獣、雪を避けて他国へ去るもあり、さらざるもあり、動かずして雪中に穴居 (けっきょ) するは熊のみ也。

熊膽 (くまのい) は、越後を上品とす。雪中の熊膽は、ことさらに価貴 (あたいたっと) し。其の重価 (ちょうか) を得んと欲して春暖を得て、雪の降止 (ふりやみ) たるころ、出羽あたりの猟師ども五七人心を合せ、三四疋の猛犬 (もうけん) を牽き、米と塩と鍋を貯え、水と (たきぎ) は、山中在るに随って用をなし、山より山を越え、昼は (かり) して獣を (しょく) とし、夜は樹根岩窟 (きのねがんくつ) 寝所 (ねどころ) となし、生木 (なまき) (たい) て寒さを凌ぎ、且つ、 (あかし) となし、着たままにて寝臥 (ねふし) をなす。 (かしら) より足にいたるまで、身に着る物、悉く獣の皮をもってこれを作る。遠く視れば、猿にして顔は人也。金革 (きんかく) (しきね) にす。とはかかる人をやいうべき。

此の者らが志す所は、我が国の熊にありさて、我が山中に入り場所よきを見立て、木の枝、藤蔓 (ふぢつる) を以て仮に小屋を作り、これを居所 (いどころ) となし、おのおの犬を () き四方に別れて熊を窺う、熊の穴居 (こもり) たる所を (みつくれ) ば、目幟 (めじるし) をのこして小屋にかえり、一連の力を併せてこれを捕る。その道具は柄の長さ四尺 (ばか) りの手鎗 (てやり) 、或いは山刀 (やまがたな) 薙刀 (なぎなた) のごとくに作りたるもの、銕砲 (てっぽう) 、山刀、斧の類也。 () (にぶ) る時は貯えたる () をもって自ら () ぐ、此の道具も獣の皮を以て鞘となす。此の者ら春にもかぎらず、冬より山に入るをりもあり。

そもそも熊は和獣 (わじゅう) の王。猛くして () を知る。菓木 (このみ) 皮虫 (かわむし) のるいを (しょく) として、同類の獣を食らわず、田圃 (たはた) を荒らさず、稀に荒らすはね食の尽きたる時也。詩経には男子の (しょう) とし、或は六雄将軍 (りくゆうしょうぐん) の名を得たるも、義獣 (ぎじゅう) なればなるべし。夏は食をもとむるの (ほか) 山蟻 (やまあり) 掌中 (てのひら) に擦り着け、冬の蔵蟄 (あなごもり) にはこれを (なめ) て飢えを凌ぐ。

牝牡同じく穴に (こも) らず、牝の子あるは子とおなじくこもる。其の蔵蟄 (あなこもり) する所は大木の雪頽 (なだれ) に倒れて朽ちたる (うろ) [なだれの事、下にしるす] 又は岩間土穴 (いわのあいつちあな) 、かれが心に随って、 () る処さだめがたし。雪中の熊は右のごとく他食 (たしょく) を求めざるゆえ、その (きも) 良功 (りょうこう) ある事、夏の膽に比ぶれば百倍也。我が国にては・飴膽 (あめい) 琥珀膽 (こはくい) 黒膽 (くろい) と唱え、色をもってこれをいう。琥珀を上品とし、黒膽を下品とす。偽物 (ぎぶつ) は黒膽に多し。

・さて熊を捕るに種々の術あり。かれが () る所の地理にしたがって、捕り () やすき術をほどこす。熊は秋の土用より穴に入り、春の土用に穴より (いず) るという。又一説に、穴に入りてより穴を出るまで、一睡 (ひとねむり) にねむるという。人の視ざるところなれば信じがたし。

沫雪 (あわゆき) (くだり) にいえるごとく、冬の雪は (やはらか) にして足場あしきゆえ、熊を捕るは雪の凍りたる春の土用まえ、かれが穴よりいでんとする頃を、程よき時節とする也。岩壁 (がんへき) の裾、又は大樹 (たいじゅ) の根などに蔵蟄 (あなごもり) たるを捕るには、 (おし) という (じゅつ) を用う、天井釣 (てんじょうづり) ともいう。その制作 (しかた) は木の枝、藤の蔓にて穴に倚掛 (よせかけ) て棚を作り、たなの端は地に付けて杭を以てこれを縛り、たなの横木に柱ありて、棚の上に大石を積みならべ、横木より縄を下し、縄に輪を結びて穴に臨ます。これを蹴綱 (けづな) という。此の蹴綱に転機 (しかけ) あり、全く作りおわりてのち、穴にのぞんで、玉蜀烟艸 (とうがらしたばこ) の茎のるい、熊の (にく) む物を焚き、しきりに扇ぎて、 (けぶり) を穴に入るれば、熊、烟りに (むせ) て大に (いか) り、穴を飛出る時、かならずかの蹴綱 (けづな) に触るるれば、転機 (しかけ) にて棚落ちて、熊大石の下に死す。手を下さずして熊を捕るの上術也。是は熊の居所 (いどころ) による也。これらは樵夫 (しょうふ) も折りによりてはする事也。

又熊捕りの場数 (ばかず) を蹈みたる剛勇の者は、一連の猟師を熊の () る穴の前に待たせ、 (おのれ) 一人、「ひろろ」蓑を (かしら) より被り [「ひろろ」は山にある艸の名也。みのに作れば稿 (わら) よりかろし。猟師常にこれを用う] 穴にそろそろ這い入り、熊に蓑の毛を触れれば、熊はみのの毛を嫌うものゆえ、 () けて前にすすむ、又 (しりえ) よりみの毛を (さわら) す、熊又まえにすすむ、又さはり又すすんで、熊 (つい) には穴の口にいたる、これを視て待ちかまえたる猟師ども、手練 (しゅれん) 鎗尖 (やりさき) にかけて突留 (つきとむ) る。一鎗失 (ひとやりあやまつ) ときは、熊の一揆 (ひとかき) に一命を失う。その危うきを蹈んで熊を捕るは、僅かの黄金 (かね) (ため) 也。金慾 (きんよく) の人を (あやまつ) 事、色慾 (しきよく) よりも甚だし。されば黄金 (おうごん) は、道を以て () べし、道をもって () べからず。

又上に覆う所ありて、その下には雪のつもらざるを知り、土穴を掘りて (こも) るもあり、 (しか) れども、ここにも雪三五尺は吹き積もる也。熊の穴ある所の雪には、かならず細き (あな) ありて、 (くだ) のことし。これ熊の気息 (いき) にて雪の解けたる孔也。猟師これを見れば、雪を掘りて穴をあらはし、木の枝、柴のるいを穴に挿し入れば、熊、これを (かき) とりて穴に入るる。かくする事しばしばなれば、穴 (つま) りて、熊、穴の口にいずる時鎗にかくる。突きたりと見れば、数疋 (すひき) 猛犬 (つよいぬ) 、いちどに飛かかりて齧みつく。犬は人を力とし、人は犬を力として殺すもあり。此の術は、 (うつお) 木にこもりたるにもする事也。



註:
・「金革(きんかく)を衽(しきね)にす・・・」

芭蕉が松倉嵐蘭(まつくららんらん)の死を悼んで書いた俳文。

金革(きんかく)を衽(しきね)にして、あへてたゆまざるは士の志也。・・・
・・・・中略
秋風に折て悲しき桑の杖

悼松倉嵐蘭(まつくららんらんをいたむ):松尾芭蕉:笈日記
各務支考 (かがみしこう) 編。1695年(元禄八)

嵐蘭誄(らんらんのるい):松尾芭蕉:風俗文選
森川許六 (もりかわきょりく) 編。1706年(宝永三)

題名が違うがどちらも同じ作品。多少の字の違いはある。
風俗文選では、「衽」は「褥」が当てられている。「悲しき」は「かなしき」

参照リンク:
近代デジタルライブラリー
笈日記 悼松倉嵐蘭

愛知県立大学図書館 貴重書コレクション
笈日記 3-0026 悼松倉嵐蘭

近代デジタルライブラリー
風俗文選: 嵐蘭誄

早稲田大学付属図書館 古典籍総合データベース
風俗文選: 嵐蘭誄1嵐蘭誄2

芭蕉の「金革(きんかく)を衽(しきね)にす・・・」は、中庸からとられている。
「衽金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。・・・」
「金革を衽にして、死しても厭わざるは、北方の強なり。・・・」

中庸は、四書(大学・中庸・論語・孟子)の一つ。孔子の孫の子思の作とされる。

参照リンク:
黙斎を語る 中庸章句第八章から第十一章



・銕砲(てっぽう) は、本文では (てつはう) 半濁点なし。
・義(ぎ)を知る。 は、本文では「義(き)」 濁点なし。岩波のみ濁点あり。



・詩経には男子の祥(しょう)とし
詩経 斯干(しかん)

大人占之。
維熊維羆、男子之祥。
維虺維蛇、女子之祥。

大人之を占う。(だいじんこれをうらなう)
維れ熊維れ羆は(これユウこれヒは) 
男子の祥(だんしのしょう)
維れ虺維れ蛇は(これキこれダは) 
女子の祥と(じょしのしょう) 

参照リンク:
raccoon21jpのブログ 2190.詩経(169)小雅「鴻雁の什」《斯干》《無羊》

詩経は、五経(易・書・詩・礼・春秋)の一つ。中国最古の詩集で、孔子の編と言われる。



・六雄将軍(りくゆうしょうぐん)
中国の唐の時代の伝奇集 広異記(戴孚・作)の「巴西侯」という作品に登場する。

巴西侯(はさいこう) 猿
六雄将軍(りくゆうしょうぐん) 熊
白額侯(はくがくこう) 虎
滄浪君(そうろうくん) 狼
五豹将軍(ごひょうしょうぐん) 豹
鉅鹿侯(きょろくこう)
玄丘校尉(げんきゅうこうい) 狐
洞玄先生(どうげんせんせい) 亀


参照リンク:
肝冷斎雑志 「広異記」より「巴西侯」

近代デジタルライブラリー
徳川文芸類聚 第四 太平百物語 巻之二・十六、玉木蔭右衛門鎌倉にて難に遭ひし事 (巴西侯の翻案)



・舐(なめ)て、「舐」の漢字は、本文では、舌+枼 舐める1 舐める2 に同じ

(ぺちゃぺちゃとなめる。しきりになめるという意味)

・秋の土用: 立冬の前十八日
・春の土用: 立夏の前十八日

・軟(やはらか)にして: 本文では、軟(やわら)にして。「か」字はなし。
・縄に輪を結びて: 本文では、結ひて。「ひ」に濁点なし。岩波文庫濁点あり。

・烟(けぶり): 本文では、烟(けふり)。濁点なし。



・一揆(ひとかき): 「揆」の字はそのまま。岩波のみ「掻」の字を当てる。
「揆」「掻」を崩すとよく似ているので、取り違えた可能性もあるが、初版・改訂版ともに「揆」が当てられているので、これに倣うべきであろう。

揆・掻

一揆は、「軌を一にする」という意味にもとれるので、
「一鎗」と「熊の爪のひとかき」を同質のものとして対比させるための隠喩的表現とは考えられないだろうか。



・「されば黄金は、道を以て得べし、道をもって得べからず。」 
改訂版では、
「・・・・不道をもつて得べからず。」と改訂されている。

これは次の論語から採られているものと思われる。

論語 巻二 里仁第四 五

子曰、富與貴、是人之所欲也。
不以其道得之、不處也。
貪與賎、是人之所悪也。
不以其道得之、不去也。・・・・

子の曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。
其の道を以てこれを得ざれば、処(お)らざるなり。
貧しきと賎しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。
其の道を以てこれを得ざれば、去らざるなり。・・・・

これは古注の読みで、朱子学による新注では次のようになる。

子曰、富與貴、是人之所欲也。
不以其道、得之不處也。
貪與賎、是人之所悪也。
不以其道、得之去也。・・・・

子の曰わく、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。
其の道を以てせざれば、之を得(う)とも処(お)らざるなり。
貧しきと賎しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。
其の道を以てせざれば、之を得(う)とも去らざるなり。


更に、「其の道」の解釈の仕方により意味も変わってくる。
まず、「其の道」を「正しい行い」と解釈すると次のようになる。

孔子先生が言われた。
「富と貴い身分は、だれでも欲しがるものだ。しかし(正しい行い)をしないで、これを得たのならば、安住はできない。
貧乏と賎しい身分は、だれでも嫌がるものだ。しかし(正しい行い)をしないで、これを得たならば、そこから去ることはない。」

次に、「其の道」を「その方法」(ここには善悪の価値判断はない)と解釈すると次のようになる。

孔子先生が言われた。
「富と貴い身分は、だれでも欲しがるものだ。しかしその方法(富と貴い身分を手にいれるための、勤勉や節制など)をしないで、これを得たならば安住はできない。
貧乏と賎しい身分は、だれでも嫌がるものだ。しかしその方法(貧乏と賎しい身分に当然なるであろう、怠惰や不節制など)をしないで、これを得たならばそこを去らない。

単純化すると次のようになる。

前者は、
不正を行い富を手に入れても安住できない。
不正を行い貧乏になったならば、受け入れるしかない。

後者は、
不正を行い富を手に入れても安住できない。
正しい行いをしたのに、貧乏になったのならば、それは受け入れよう。(不正を行い富を得ようとは思わない)

どちらの解釈が正しいか? というのは孔子様にしか分からないことだが、ただ、古注の読み下しでは、「其の道」を「正しい行い」と解釈することはできない。

「貧乏と賎しい身分は、だれでも嫌がるものだ。其の道(正しい行い)をして、貧乏を得なかったならば、そこから去らない」
では、意味が通じない。古注の場合は、「其の道」は「その方法」と解釈すしかない。

以上を踏まえて北越雪譜をみてみることにする。

されば黄金は、道を以て得べし、道をもって得べからず。

この「道」を「正しい行い」と解釈するか、「その方法」と解釈するかでここでも文全体の意味が違ってくる。改訂版では、後半を「不道」としているので「道」を「正しい行い」と解釈しているわけである。

しかし、北越雪譜の文は、古注の読みに近い。また、熊捕りの話をしていたのに俄かに道徳の話になるのも不自然である。ここは、「道」を「方法」と解釈すべきではないだろうか。

つまり、先に示された熊を捕る安全な方法(道)と、後に示された熊を捕る危険な方法(道)を対比させて、
「お金は、安全な方法で得るべきで、あまり無茶はしない方がよい。」
というように解すべきではないだろうか。



・「管(くだ)のごとし」 本文では、「管(くだ)のことし」「こ」濁点なし。岩波のみ濁点あり。



ヒロロ製の蓑
ヒロロ製の蓑

マタギの防寒具
カモシカの皮製の皮蓑と熊槍

マタギの防寒具手袋
皮手袋や皮足袋

マタギ



参照リンク:
私の北越雪譜 熊捕(と)り



単純翻刻

○熊捕(くまとり)

越後の西北は大洋(おほうみ)に対(たい)して高山(かうざん)なし東西は連山巍々(れんざんぎゝ)として越中上信奥羽の五か国に跨(またが)り重岳高嶺肩(ちようがくかうれいかた)を並(なら)べて数(す)十里をなすゆゑ大小の獣甚多(けものはなはだおほ)し此獣(けもの)雪を避(さけ)て他国へ去るもありさらざるもあり動(うごか)ずして雪中に穴居(けつきよ)するは熊(くま)のみ也熊膽(くまのい)は越後を上品(ひん)とす雪中の熊膽はことさらに価貴(あたひたつと)し其重価(ちようくわ)を得(え)んと欲(ほつ)して春暖(しゆんだん)を得(え)て雪の降止(ふりやみ)たるころ出羽(では)あたりの猟師(れふし)ども五七人心を合せ三四疋の猛犬(まうけん)を牽(ひ)き米と塩(しほ)と鍋(なべ)を貯(たくは)へ水と薪(たきゞ)は山中在(あ)るに随(したがつ)て用をなし山より山を越(こえ)昼(ひる)は猟(かり)して獣(けもの)を食(しよく)とし夜は樹根岩窟(きのねがんくつ)を寝所(ねどころ)となし生木(なまき)を焼(たい)て寒(さむさ)を凌且明(しのぎかつあかし)となし着(き)たまゝにて寝臥(ねふし)をなす頭(かしら)より足(あし)にいたるまで身(み)に着(き)る物(もの)悉(ことご/゛\)く獣(けもの)の皮(かは)をもつてこれを作る遠(とほ)く視(み)れば猿(さる)にして顔(かほ)は人也金革(きんかく)を衽(しきね)にすとはかゝる人をやいふべき此者(もの)らが志(こゝろざず)所は我国の熊にありさて我山中に入り場所(ばしよ)よきを見立(みたて)木の枝(えだ)藤蔓(ふぢつる)を以て仮(かり)に小屋(こや)を作りこれを居所(ゐどころ)となしおの/\犬を牽(ひき)四方に別(わかれ)て熊を窺(うかゞ)ふ熊の穴居(こもり)たる所を認(みつくれ)ば目幟(めじるし)をのこして小屋にかへり一連(れん)の力を併(あはせ)てこれを捕(と)るその道具(だうぐ)は柄(え)の長さ四尺斗りの手鎗(てやり)或(あるひ)は山刀(やまがたな)を薙刀(なぎなた)のごとくに作りたるもの銕砲(てつはう)山刀斧(をの)の類(るゐ)也刃(は)鈍(にぶ)る時は貯(たくは)へたる砥(と)をもつて自研(みづからと)ぐ此道具(だうぐ)も獣(けもの)の皮(かは)を以て鞘(さや)となす此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり
そも/\熊(くま)は和獣(わじう)の王猛(たけ)くして義(き)[ママ]を知(し)る菓木(このみ)の皮虫(かはむし)のるゐを食(しよく)として同類(どうるゐ)の獣(けもの)を喰(くらは)ず田圃(たはた)を荒(あらさ)ず稀(まれ)に荒(あら)すは食(しよく)の尽(つき)たる時也詩経(しきやう)には男子(だんし)の祥(しやう)とし或は六雄将軍(りくゆうしやうぐん)の名を得(え)たるも義獣(ぎじう)なればなるべし夏(なつ)は食(しよく)をもとむるの外(ほか)山蟻(やまあり)を掌中(てのひら)に擦着(すりつけ)冬(ふゆ)の蔵蟄(あなごもり)にはこれを舐(なめ)て飢(うゑ)を凌(しの)ぐ牝牡同(めすをすおなじ)く穴(あな)に蟄(こも)らず牝(めす)の子あるは子とおなじくこもる其蔵蟄(あなこもり)する所は大木の雪頽(なだれ)に倒(たふ)れて朽(くち)たる洞(うろ) [なだれの事下にしるす] 又は岩間土穴(いはのあひつちあな)かれが心に随(したがつ)て居(を)る処さだめがたし雪中の熊は右のごとく他食(たしよく)を求(もとめ)ざるゆゑその膽(きも)の良功(りやうこう)ある事夏の膽に比(くらぶ)れば百倍(ばい)也我国にては・飴膽(あめい)・琥珀膽(こはくい)・黒膽(くろい)と唱(とな)へ色をもつてこれをいふ琥珀(こはく)を上品(ひん)とし黒膽を下品とす偽物(ぎぶつ)は黒膽に多し
・さて熊を捕(とる)に種々(しゆ/゛\)の術(じゆつ)ありかれが居(をる)所の地理(ちり)にしたがつて捕得(とりえ)やすき術をほどこす熊は秋の土用より穴(あな)に入り春の土用に穴より出(いづ)るといふ又一説(せつ)に穴に入りてより穴を出るまで一睡(ひとねむり)にねむるといふ人の視(み)ざるところなれば信(しん)じがたし
沫雪(あわゆき)の条(くだり)にいへるごとく冬の雪は軟(やはらか)にして足場(あしば)あしきゆゑ熊を捕(とる)は雪の凍(こほり)たる春の土用まへかれが穴よりいでんとする頃(ころ)を程(ほど)よき時節(じせつ)とする也岩壁(がんへき)の裾(すそ)又は大樹(たいじゆ)の根(ね)などに蔵蟄(あなごもり)たるを捕(とる)には圧(おし)といふ術(じゆつ)を用(もち)ふ天井釣(てんぢやうづり)ともいふその制作(しかた)は木の枝(えだ)藤(ふぢ)の蔓(つる)にて穴に倚掛(よせかけ)て棚(たな)を作(つく)りたなの端(はし)は地(ち)に付て杭(くひ)を以てこれを縛(しば)りたなの横木に柱(はしら)ありて棚(たな)の上に大石を積(つみ)ならべ横木より縄(なは)を下し縄に輪(わ)を結(むす)ひ[ママ]て穴(あな)に臨(のぞま)すこれを蹴綱(けづな)といふ此蹴綱に転機(しかけ)あり全(まつた)く作(つく)りをはりてのち穴にのぞんで玉蜀烟艸(たうがらしたばこ)の茎(くき)のるゐ熊(くま)の悪(にく)む物を焚(たき)しきりに扇(あふぎ)て烟(けふり)[ママ]を穴に入るれば熊烟りに噎(むせ)て大に怒(いか)り穴を飛出る時かならずかの蹴綱(けづな)に触(ふる)るれば転機(しかけ)にて棚落(たなおち)て熊大石の下に死(し)す手を下(くだ)さずして熊を捕(とる)の上術(じゆつ)也是は熊の居所(ゐどころ)による也これらは樵夫(せうふ)も折(をり)によりてはする事也
又熊捕(くまとり)の場数(ばかず)を蹈(ふみ)たる剛勇(がうゆう)の者は一連(れん)の猟師(れふし)を熊の居(を)る穴の前に待(また)せ己(おのれ)一人「ひろゝ」蓑(みの)を頭(かしら)より被(かぶ)り [「ひろゝ」は山にある艸の名也みのに作れば稿よりかろし猟師常にこれを用ふ] 穴にそろ/\と這(はひ)入り熊に蓑(みの)の毛を触(ふる)れば熊はみのゝ毛を嫌(きら)ふものゆゑ除(よけ)て前にすゝむ又後(しりへ)よりみの毛を障(さはら)す熊又まへにすゝむ又さはり又すゝんで熊終(つひ)には穴の口にいたるこれを視(み)て待(まち)かまへたる猟師(れふし)ども手練(しゆれん)の鎗尖(やりさき)にかけて突畄(つきとむ)る一鎗失(ひとやりあやまつ)ときは熊の一揆(ひとかき)に一命(めい)を失(うしな)ふその危(あやふき)を蹈(ふん)で熊を捕は僅(わづか)の黄金(かね)の為(ため)也金慾(きんよく)の人を過(あやまつ)事色慾(しきよく)よりも甚(はなはだ)しされば黄金(わうごん)は道(みち)を以て得(う)べし不道をもつて得(う)べからず
又上に覆(おほ)ふ所ありてその下には雪のつもらざるを知り土穴を掘(ほり)て蟄(こも)るもあり然(しか)れどもこゝにも雪三五尺は吹積(ふきつもる)也熊の穴ある所の雪にはかならず細孔(ほそきあな)ありて管(くだ)のことし[ママ]これ熊の気息(いき)にて雪の解(とけ)たる孔(あな)也猟師(れふし)これを見れば雪を掘て穴をあらはし木の枝(えだ)柴(しば)のるゐを穴に挿(さし)入れば熊これを揆(かき)とりて穴に入るゝかくする事しば/\なれば穴逼(つま)りて熊穴の口にいづる時鎗にかくる突(つき)たりと見れば数疋(すひき)の猛犬(つよいぬ)いちどに飛かゝりて齧(かみ)つく犬は人を力とし人は犬を力として殺(ころす)もあり此術は椌(うつほ)木にこもりたるにもする事也

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