2013年7月22日月曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 05.馬琴への義理立て

   五 馬琴への義理立て

 京山の考へでは、どうも読み本では大分重くるしいものになるし、此時分は草双子流行の時代でもあつて、大抵のものは双子にさへすればよく売れるといふ所からして、之を極めて解し易く婦女子迄も読み得るものにしてはといふ趣向で、「越後国雪物語」といふ平易な名を冠する考へであつたらしい。尚ほこゝにはそれを引かないが、此雪物語を作るに就て、斯く/\の材料がいるといふ事が詳しく書かれてある。それは越後の大雪について何人も興味を感じ且つ人の意外に思ふやうなことを列挙して、こんな様な材料が入用であるとて恰も牧之に教へるが如く悃切にこれを書き列ね、一番終りの大団円については、例のめでたしめでたしで了る趣向で、そこの所へは牧之翁の「寄雪祝(ゆきによするいはひ)」の歌でも入れたい、そうして画は松竹梅を載せた島台の上に雪の降りかゝつて居る所をかいてはどうかといふので、此書簡中には京山自ら島台雪の図などを書いて居る。しかし京山の此書簡に対しては、牧之は断りをいうたものと見える。その次第は、兎も角も既に馬琴に託してあるのに、本の体裁も趣向も多少変るにしても、似寄りのものを他に嘱するのはどうであらうかと、律義一遍の牧之であるから、折角の京山の思ひ立ちではあつたが、一応それを断つた。それに対して京山は又左の如く云うて居る。
  
北越雪譜の事、馬琴、玉山両翁に存立 [存じ立ち? 原文不明] も未だ上梓に及ばず、依て私より申上候雪の草紙も御著作被成がたき由御尤も千万奉存候、ふとうかみし儘申入候、御一笑被下度候

  玉山の雪の消えたる跡なれば蓑笠のかくもいらぬものとや

いかに雪の物語なればとて、うづめおくもおしきものに御座候、春に相成申候はゞどうか御相談致し方もあるべくや

  桜木に早く上せて見たきもの雪とみやまの物がたりをば

この書簡によると、牧之の馬琴に対する義理立ても尤もであるが、併し画をかく約束の玉山は既に歿し、馬琴も引受けながら埋没に付して其約を果さぬ、それを其儘にして置くは惜しいから活かしては如何というて居るので、歌の意味はこゝに云ふ迄もないが、玉山とは雪に因んでいうたので、蓑笠は馬琴の号であつて、それも亦雪に引懸けて詠じたのである。春になつたら出版したいといふ所から桜木の文字を使つてゐるが、桜木とはこれ亦板木は桜で作るので出版を意味してゐる。更に玉山については、京山の書状中にも斯う云うて居る。

玉山存在の節太閤記に付この雪の図可相違御示し被成候由、おもしろきはなしに御座候由、玉山も画に於ては東都にても雷鳴致し候、亡兄へ度々文通もいたし候、書も見事にて才子と見へ申候



註:
島台: 州浜台(砂浜をかたどった台)の上に松竹梅などを配したもの。

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