2013年7月24日水曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 07.画工其他に就ての配慮

   七 画工其他に就ての配慮

京山が牧之宛の書状中から一二の事を抄録すれば、

馬琴は自負の人であつて、雪の随筆と云ふが如き類のものは、当世筆を取り得るもの乃公一人で、他人の能く成し遂げ得べき事ではないと、実は高を括つて今日迄放却して延引を重ねて来たものである。然るに先生が手を切つていよ/\私に御任せになつたと馬琴が聞いたならば、首を傾けてどんな事を云ひ出すかわからない。其辺の事は能く/\呑込んで居らねばならぬ。又馬琴の所へはあなたの方から色々の材料が行つて居る。先づ其材料を取り戻す事が肝腎ではあるが、下手にひねくれられると材料も戻さぬと云ひ出すかも知れない。

こんな事を注意してゐる。果して京山の気遣つた如くに、馬琴は結局京山に編纂を任せることに同意はしたが、牧之から送つた材料は戻さなかつた。其理由として、折角あなたの筆に成つた好記念物である、自分が著作をなし得なかつたのは誠に済まなかつたが、しかし永い間種々考案を廻らして来て居る、就ては材料は私へ下さい、自分は表装をして家に遺したいといふわけで、到頭図も草稿も戻さずじまひになつた。此の事に就ては鈴木家に残つてゐる馬琴の手柬集、それは凡そ二百枚近くのもので大きな冊子に作られてあるが、其巻頭に牧之がそれに就ての序文を書いて居る、それを読むと、何故に馬琴は材料を戻さなかつたのであらう、自分は斯かるものゝ他の手に残る事を耻とする、よつて種々馬琴に談じては見たが、遂に戻らなかつたと云うて何となく不快の筆致が見えてゐる。

 京山は前の如くに書き終つて後、同じ書簡中に早くも著述する時の種々なる考案に言ひ及ぼしてゐる。

私存寄にては読本の形にいたし、雪の図なればうすゞみの彩色を入れたる所もありたり、(彩色本国禁なれ共、薄墨は制外なり)又人物を見せたる所、細画の所、色々取りまぜ目を変らせたし、北斎の筆なれば上々、次には英泉なるべし、国貞などの筆の物でなし、唐画家に書かせては俗に落ち不申、うりものにはあしく候、上梓のうり物は文晁でもあしく候、先生亡兄へ被遣候同草稿の時よりは乍憚御画も御進み、雪の事は段々詳しくならせられ候事と存候儘、此節又々草稿被成候はゞ目を驚かし申す事と存候、貴君を発起として亡兄や、玉山、曲亭など上梓の意ある事は書林などは更に不存処、草稿を見せ候はゞ刻する心に相成可申かと存候、先づ下ごしらへの御草稿、おぼしめし次第早々御取りかゝり可然候、雪を鋸にて引わり申候処の図などは大きく見せたし、めづらしき事に候、市中の有様と山中の有様と、雪中鳥を取る事、漁猟山猟の図も面白かるべし、かくべつ御念入りたる図にも及ばず、真画にては御手もかゝるべくと存候

さすがに京山は絵入物の著作にかけては経験がある故、誰に画をかゝせようかと云ふ事は此書簡によつても早く既に工夫する所があつて、画家の選び方など考へたものである。如何にも文晁でもなく、南画の畑でもない。そうかと云つて国貞のやうな、人物を画くには妙手であつても風景画に拙なるものでも駄目である。北斎ならば上乗だと云つてゐるが、如何にも、尤もの月旦である。又其後に京山から左の如き書簡を牧之に与へてゐる。

雪話の御草稿昨夜中八ツ頃迄に荒々拝見仕候、図などは一しほ玉手を労させ給ひたる事おしはかり申候、御文章の内貴国の方言にて御しるし被成候処々に江戸人にはさとり難き事も見へ申候、熟覧の上推量に落ちざる所は跡より御尋ね可申候、すべて著述は机上に筆を採りて幾百万人に示し候ものゆゑ独り合点にてはこまやかにさとしがたく、よんでわからぬとおもしろからぬ始り也

○雪中の図どもさて/\目を驚かし申候、図の中に人家のかたわらに水瓶ともおぼしきものゝ大なるを、こもにて包みあるが家毎に見え申候、是は雪中に水を貯え置き候にや、大家にては三つも四つも貯へたる様也、是は人かず多く候故の事に御座候や如何に哉

○御草稿拝見してつら/\思ふに、越後の鈴木より国の名物として魚類、青物、品々山東へおくり、是を料理しては江戸の人及び京浪花の人にも口にあひ候様に振舞候へ共、おくられたる魚類青物を見て献立をして、なます、ひら、しる、其他種々に料理し、膳立までして、いざ食し給へと云ふ様なものにて、折角めづらしき雪話といふ趣味をふあんばいにしてたべさせ候ては、一椀を喫して今一杯と申す間敷、此処に於て筆をとるに心あるべき事と存候間よく/\熟覧いたし、北越の雪をよく腹へしみこませて筆をとり可申候

追々と京山が気乗りがして来て、料理にたとへる所などは作者の極意を云うてゐるものと見るべく、天水桶の凍るのを防ぐ為めに菰にて巻かれてあるのを図に見て、京山が飲料水と解釈したなどは江戸人として無理からぬ事ではあるが、越後人から見れば聊か滑稽の感がないでもない。



註:
乃公 (だいこう): 自分を尊大に誇示する自称。(汝の君主の意味)。俺様。
手柬集 (しゅかんしゅう): 手柬は手紙のこと。
月旦 (げったん): 毎月のついたち。月旦評: 人物評。(後漢の許劭が毎月初めに郷里の人物の批評をした故事から)

0 件のコメント: