2013年7月27日土曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 13.作料僅に五両

   一三 著作料僅に五両

又同じ書簡中に於て、再び越後へ漫遊することに就て言ひ及んでゐる。
来年五月私父子遊筇之節は、油屋翁善光寺迄御案内もあらん様に御申のよし、ありがたく存じ候、蒲原七奇も新潟も遊覧いたし度候、併し文藻を挟んで漫遊する文人多くは○之為なり、余も其同臭ありと雖も絶窮にはあらざれば、銭を見ること蝿の血を見るが如くにはあらず五六七月の間技を売つて嚢中十金(十二)余せば足るべし、嗚呼拙技を売つてこれを得んこと難かるべし、茲に尊翁が庇護を希ふのみ、遠近之諸友へ御噂御ひろめをねがひ上る
この書簡によつて見ても、先づ京山が頗る真摯の性格だといふことがわかる。馬琴ならばもう少しエラさうに書くであらうと思ふ所を、敢て銭が欲しくないと言はぬが、三ヶ月も越後に滞在して結局望みはどれ丈けであるかといふに、拾両、それを更に訂正して拾弐両を得れば足ると云うて居る。どちらにしても余り大なる望みとは思はれぬ。勿論此時分の金の貴いことは今の想像の及ばぬ位のものであるが、現に六七年もかゝつて非常に労をとつた「北越雪譜」が、どれ丈けの著作料を牧之に約束したかといふに、只僅に金五両であつた。而も其中には息子の京水が幾ど七八分通り画筆を揮つた其画料をも包含して居ることを考へると、いよ/\十二金といふものは其当時として少ない金でもなからうが、併し先づ大体に於て小なる希望というてよろしい。




註:
遊筇 (ゆうきょう): 「筇」は竹の杖。
文藻 (ぶんそう): 文章を作る才能。

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