2013年7月22日月曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 04.越後国雪物語

   四 越後国雪物語

 以上は「北越雪譜」が出版さるゝに至つた迄の顛末を便宜上先づザツト録したに過ぎない。云ひ換へれば以下記述せんとする其序説で、偖これからは京山が牧之に与へた書簡を中心に書かうと思ふが、何にしても十八行罫紙で三百枚からもあり、年に積れば十年以上にも亘つてゐる、それを多く引いて居る余地もないので、主として「北越雪譜」著作に関する肝要の部分、或は牧之と京山との交情に関する部分、其他多少興味ある部分などを聊か引用するに止める。それも考証家の如くに、種々解説を付したり他の書物などから取り来つて委しく説明することを避ける。而かも自分がそれを語るよりも事実上の雪譜著者たる京山をして自ら語らしめる方が却つて興味があると思ふので、その書簡の要所々々を引いて書くことにする。又京山の書簡は極めて解し易く書いてあるが、併し今日の時文とは甚だ異つた字面などもあるから、そういふ点には多少の説明を加へよう。或は稀に雪譜と無関係の事も交るであらうが、それは書簡の順序等に依る結果で、それらには又別種の趣味があらうと考へる。

 前にも略叙した如く、京山は雪の話を双紙体に八冊許りのものとなし、牧之の著作として出版して見たいといふ気が起つて、其意味の手紙を牧之に与へた事がある。それは文政十二年の事で、左の如く云うてゐる。

昨夜枕上にてふと心つき申候間申上候、先年貴国雪中の事を述作致し可申様亡兄へ被仰、雪中の具ども雛形など迄細に被遣、是に小冊添被成候を年来所蔵致処、此度池魚に奪はれ残念至極に御座候、さておもへらく、北越雪談と致し絵入読み本五冊として雪の故事古歌などを加へ出版いたさんと存付候は亡兄の趣向にも候へ共、読本にて手重に相成、雑費も余程に、作もむつかしく候故、つい/\延引致候事に候、当時草双子のなり行きを考ふるによき時節と存候間、北越雪談を
  越後国雪物語 越後塩沢秋月庵牧之作 
         東京山東庵 京山 交合
      全八冊   歌川 国貞 画
右の通り草双子にいたし出版仕候はゞうれ可申かと存候、御冬ごもりの内著述、御旅費等
一切相掛け申聞敷候

此書簡によつて見ると、京伝の頼まれた時は、京伝は「北越雪談」と名づけ、絵入りの読み本とする積りであつたと見える。即ち読み本五冊として出版する趣向であつたことが分る。雪の故事古歌、いろ/\の考証を付する遣り口で、一種の随筆の如き恰好にせんとしたのが京伝の考案であつたのである。



註:
時文 (じぶん):その時の文。当時の文体。

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